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お寺座


富山は宇奈月にあります、白雪山善巧寺さんというお寺にて、
「お寺座」というイベントがありました。
このお寺の住職さん、雪山さん、という方の主催のイベントで、
『パリのオペラ座よろしく「お寺座」は、「お寺は文化の発信地」をキーワードに、お寺・仏教を身近に感じてほしいという願いのもと、趣旨に賛同してくださるアーティスト方と共につくりあげる舞台』
というコンセプトの元、
お寺の本堂を舞台に、阿弥陀さまをバックにして、様々なライブが行われました。

で、それに参加してきたわけですが、
いやはや、すごかったですね。
何が?って、いろいろなんですが、
まず目を引くのが出演者。
登場順に感想とともにいきますと・・・

まずは「おまけびと」という、チスイさん、カワシマさん二人からなるお坊さんユニット。カワシマさんのギターに合わせチスイさんが歌います。
コミカルでネガティブな詩のなかに、どこかグッと引き込まれるものがあります。
それはどこか仏教的なものを感じさせるからかも、しれません。
メロディーもエモく、どこか懐かしい感じ。
ステキなキャラで、会場を沸かせ、お坊さんに対するイメージに一石を投じてくださいました。

お次はサワサキヨシヒロ!さんという、様々な(よくわからん)機器を使って、電子音楽を奏でる方。
サワサキさんは温泉大好きらしく、温泉をテーマ?にしたアンビエントな、不思議でゆるい音楽を楽しませてくださいました。
確かに、そのパフォーマンスも、機械が奏でる音でありながら、浮遊感や温かみを感じる音楽で、
目を瞑ればふわ~っと心地よくなってきます。
まさに温泉を音楽にした、そんな感じの音楽だったように思います。

その次は、曽我部恵一さん。
そう、あの、曽我部さん、ですよ。驚きです。
先月富山大学にて、曽我部BANDのライブを見たのですが、それとは違い、今回は一人で弾き語りでした。
それがまた、ゆったり、時には激しく、それでいて優しく温かいライブで、
会場と一体になって、手拍子したり、声を出して歌ったり、それこそ老若男女みんなが楽しめる、そんなライブでした。
どの曲も素晴らしかったのですが、
個人的には、サワサキさんのリクエストで歌ってくれた「サマー・ソルジャー」という曲や、
曽我部さんが娘さんに対して歌った歌、「おとなになんかならないで」という曲にやられました。
最後には、
サワサキさんとの珍しいセッションもあり、最後まで楽しませていただいてしまいました。
そして、最後の登場は、
弘雄介さんという、インドやアジアの様々な楽器を駆使される方の演奏でした。
この方がまたすごい方で、シタールの世界的奏者ラヴィ・シャンカールの日本人唯一のお弟子さんで、
インド音楽演奏家・教授として活躍され、他にも様々に活動されておられる方だそうです。
そのパフォーマンスも、
シタールで曲を演奏する、というだけでなく、
ステージに所狭しと並べられた様々な弦楽器や打楽器を駆使し、時に激しく、
時に叙情的に、しかもそれを完全に即興で演奏されました。
その姿も音楽も、本当に情熱的で、どこか岡本太郎さんの芸術を感じさせるような、そんな素晴らしい演奏でした。
そして、最後にその弘さんの演奏にあわせ、
僧侶6人が「阿弥陀経」のお勤めをしました。
私もその末席に加えていただいたのですが、
仄暗いお内陣の中、弘さんの奏でる音楽に合わせて読経していますと、
いつもと違う雰囲気で、こちら側もとても心地かったです。
お客さんも、お経に結構興味を持ってくださた方もおられたようで、ちょっと、うれしかったです。

と、まあ出演者の紹介と、
イベントの内容をあわせて書きましたが、
本当に素晴らしいライブで、来てくださったお客さんも、普段お寺にあまり来ない若い人を中心に、たくさん来てくださって、とてもいいイベントだった、と思います。


そしてもう一つすごかった、のが、
「お寺座」のスタッフさんたち。
スタッフの方々は、善巧寺さんが主催する劇団、「雪ん子劇団」という劇団に関わる方々で、
20代の方々を中心に、一生懸命準備やら、されていました。
それの何がすごいって、
スッタフの働きぶりや、団結力、というのはもちろんのこと、
そういう若い力、というのが、今のお寺に無い物、なんですよね。
まあ若い力に関わらず、なのかもしれませんが、お寺にああやって、いろんな年代の人たちが集まって、何か一つの事を作り上げる、という姿に、感動、というか、すごいな、と感じました。


でもきっと、元々はお寺って、そういうところだったんですよね。
その地域の人たちが集まる、コミュニティの中心的存在。
そういう要素が、いつの間にやら失われていってしまったような気がします。
まあそれは、いろんな物が発達し、人々の関心が、内ではなく外に外に向いていった、ということもあると思いますが、、
お寺の側、僧侶の側にも問題があったのだと思います。いろんなことを怠ったんじゃないかな、と。
幸い、ウチのお寺は、まだ今のところ、催し物をする時には、
ご門徒のおばちゃんや、おっちゃんたちが手伝いに来てくださいます。
でも、もう皆さん、だんだんいい年になってこられて来てるのも事実です。
いつまでもその人たちに頼るわけにはいかないですし、なんでも世代交代、というのは必要なことでしょう。でも、その次の世代、がなかなかいないんですよね。

そういう意味で、善巧寺さんは若い人が集まる、というのはすごいなあ、と思います。
けどそれも、よくよく考えれば、ずっと「雪ん子劇団」という活動を、続けてこられた、という努力があるからなんでしょうね。
その成果として、若い人も、気兼ねなくお寺に来れるし、お寺で催しをする時にはいろいろとお手伝いをしてくれる。
それはもう、門徒だとか、門徒じゃない、なんてことは全く関係の無い姿で、
いろんな人がお寺に来て「楽しい」と感じてくださっている。
それはまさにお寺の理想的とでもいう姿のような気がします。
誰にでも開かれているというか、懐が深い、というか。
お寺は本来、そうあるべきなんだろうなあ。
だってさ、阿弥陀さまは、門徒だとか、門徒じゃない、なんてことは気になさらないし、こうしなきゃいけない、あれしてはダメだ、なんておっしゃらないはずですよ。
だってものすごく広い広い温かい心をもっておられるんだから。

でも、今のお寺って、そうじゃないですもんね。
どこか入りづらいし、決して楽しい場所では、ないですもん。
変な風に「お寺とはこうあるべき」なんて頑なになってしまっている、と言うか。
それはウチのお寺もそう。
やっぱりそれでは、人は離れていってしまいますよね。
けど、昔のやり方が悪かったのだ、と責めていても何も始まらないわけで。
やっぱりこれから何かを始めないと。

年齢も宗派も関係なく、いろんな人が気軽に来れて、お寺と言う空間を楽しめる、そんなお寺を、これから目指すべきなのかもしれません。
仏法を教義の通りに人々に伝えていく、ということももちろん大切な事と思いますが、
お寺としての活動、というものは、もっともっと広く構えてもいいものじゃないかな、と思います。
ウチのお寺では何ができるのか、まだまだ全然ビジョンがあるわけではないけれど、
どんな人でも、ふっと気軽に入れる、そういう開かれたお寺にできたらいいな、と、思います。
それこそ、個々のお寺にこだわる必要も無くて、
お寺や宗派にとらわれず、いろんなお寺同士で協力し合ってもいいわけですしね。
それはまた難しいのかもしれませんが。

と、まあ、なんかイベントのレポートを書くつもりだったのに、
全然話の流れが変わってしまいましたね・・・
いや、でも、本当に素晴らしいイベントで、楽しかったですし、
それ以上にいろいろと、お寺の在り方、というものについても考えさせられました。
そういう意味でも、
この「お寺座」に呼んで下さった雪山さんには大変感謝しております。
そして、何にもしない私を温かく迎えてくださり、いろいろ準備からお世話までしていただいたスタッフの方々にも、ここでお礼を述べさせていただきます。
本当に、有難うございました。そしてお疲れ様でした。

written by kenyou : July 21, 2006 11:30 PM

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